annonymous c’era una volta
ドイツ c’era una volta
日本語書くのは厳しいですが
話すのと読むのはわりかしイケるので、なんとかなるかなと
東京でメモをたよりに道行く人に訪ねながら探し当てていきたいと思ってます
annonymous c’era una volta
>>1
宝の地図みたいなもんだ
健闘を祈る
annonymous c’era una volta
>>1のリストは俺が貰った!
annonymous c’era una volta
>>1
こりゃきっとおいしいラーメン屋ばかりのリストなんだろうね
そうやってお祖父さんの思い出をたどるってのはとてもステキだと思う
annonymous c’era una volta
おればあちゃんの手書きのメモを今でも持っててさ
それ読むとばあちゃんの声が脳裏に蘇ってくるんよ…
annonymous c’era una volta
>>1
おじいちゃんの好きだった東京ラーメン屋巡り!
ビデオにとってユーチューブにあげてくれw
annonymous c’era una volta
ネットフリックスドキュメンタリー「>>1さん、取材させてください」
annonymous c’era una volta
>>1
メモにあるお店がまだ営業してるといいな
>>1はドイツ?
ドイツ c’era una volta
はい
祖父は日本の台東区がドイツ製の二階建てバスを購入するというのでそのビジネスで来日したそうです
annonymous c’era una volta
重度のラーヲタの自分もじい様ばあ様が日本人
>>1のメモの字はうちのじい様ばあ様のによく似てる
バーデン=ヴュルテンベルク c’era una volta
ドイツかw
我が地元にはラーメン屋は一軒たりともないがw
annonymous c’era una volta
トム・ハンクスの映画「ターミナル」みたい
ジャズの代わりにラーメンってだけで
annonymous c’era una volta
>>1
サムライグルメのエピソードにありそう
がんばってお祖父さんのお気に入りラーメン屋さんみつけてください
annonymous c’era una volta
↑ サムライグルメ好き
なんか静かで妙で
annonymous c’era una volta
サムライグルメ見てるとラーメンやらコロッケやら食べたくなってしゃーなくなるなw
annonymous c’era una volta
いつもながら竹中直人がすばらしいんですよね
これが有名かな
ttps://www.youtube.com/watch?v=u7Qjr3IQq30
annonymous c’era una volta
次はさぼリーマン甘太朗を観るといい
annonymous c’era una volta
荻くぼ 丸福
↑ この有名だったお店は一度なくなったかも
初代の縁者がその近所でいまでも味を継いでおられる
https://tabelog.com/tokyo/A1319/A131906/13001100/
annonymous c’era una volta
神田小川町 ピカ一(立食)
()のなかは「椅子なし」で立ったまま食事するお店という意味
ここも有名だったみたいだけど残念ながら1997年に閉店
annonymous c’era una volta
六本木「大八」
これももうどうやらない
annonymous c’era una volta
↑ そこは朽ちてしまいそうに
ttps://www.youtube.com/watch?v=cpYkhGOc6uM&
annonymous c’era una volta
↑ ブルーボトルコーヒー行く途中にいつもそこの前通ってたw
annonymous c’era una volta
魚河岸 靜乃屋(川名)
これはなくなって今は大一というお店だろうか
http://genet.jugem.jp/?eid=2272
annonymous c’era una volta
えびすラーメン
↑ 醤油ワンタン麺かげおか?
ttps://r.gnavi.co.jp/cnbrnbut0000/lunch/
annonymous c’era una volta
東池袋大勝軒とあるところからして>>1のおじいさんのメモは旨い店ばかりとみた
つけ麺発祥のお店ですね
annonymous c’era una volta
↑ 初代の店が残ってればよかったが…
でもラーメンの味はきっと20年前とおなじだぞ!
annonymous c’era una volta
今は初代から暖簾分けした店が10軒以上ある
annonymous c’era una volta
自分の行きつけはお茶の水 大勝軒w
annonymous c’era una volta
下谷 光江
annonymous c’era una volta
高田ババ がんこラーメン
1983年にできて…
いまでは当時のスタッフさんが一条流がんこラーメンを営んでおられる
https://tabelog.com/tokyo/A1309/A130903/13126058/
annonymous c’era una volta
道玄坂 㐂楽
>>1のお祖父さんは字を勘違いされたか道玄坂には有名な喜楽がありますね
㐂と喜は互換性ありではあるが
ttps://4travel.jp/travelogue/10982297
annonymous c’era una volta
荻くぼ 春木屋
↑ 荻くぼではなくて荻窪
ここも有名なお店
http://amasan.livedoor.biz/archives/52032952.html
annonymous c’era una volta
いやいや>>1のメモの漢字がこんだけ読めるとか大したやつ
>>1のお祖父さんの文字だと「袋,」「立食」「 軒」「 東」とか判読不可能にみえる
annonymous c’era una volta
↑ 草書体に馴染みがあればへーきへーき
annonymous c’era una volta
漢字のなんたるかはぜんぜん知らないんだけど
お祖父さんが荻窪と書かずに漢字忘れて荻くぼと書くとか
日本人はどうして漢字を忘れたりするんだろう?
annonymous c’era una volta
「窪」なんて字は日本人でもめったに書くことないから
「恵比寿」もそもそもえびすという音に適当な漢字当てはめただけのもんだしね
annonymous c’era una volta
読みは知ってる→そっから正しい漢字を当てはめる
↑ これホント難易度高い
annonymous c’era una volta
↑ だから日本人の漢字使用が減ってるんだろうか
annonymous c’era una volta
↑ 減ってないぞw
パソコンやらスマホでばっか漢字入力してて自分で思い出す機会減ってるから忘れちゃうだけ
annonymous c’era una volta
日本人が「学ぶべき」とされる漢字の数は逆に毎年増えてる
annonymous c’era una volta
日本人「常用漢字2136個、ぜんぶ覚えてるわけないっしょ。しかもそれぞれにいろんな読みがあるんよ?」
annonymous c’era una volta
日本人の同僚がレストランのメニュー(日本語)読めないっての読んであげたことあるw
annonymous c’era una volta
右の上から五番目の「ピカー」!
↑ おおうポケモンラーメン屋???
annonymous c’era una volta
↑ それは「ピカイチ」と読むんだよ坊主
annonymous c’era una volta
↑ …おk
じゃ次点で気に入った「がんこラーメン」で
これはきっと旨いはず
annonymous c’era una volta
>>1
もし『6・3・1ラーメン』というラーメン屋をみつけたらぜひ立ち寄ってくれ
これ以上ないっていう豚骨スープが味わえる
annonymous c’era una volta
>>1はフェイク
なぜなら「東」の文字が「东」になっててこれは中国本土の書き方
annonymous c’era una volta
>>1の紙が妙に新しいところに疑念が…
そんな20年前とか古い紙じゃないでしょこれ
annonymous c’era una volta
↑ かならずこういうケチつけるやつが湧いてくるのねw
ドイツ c’era una volta
>>1のメモ
シュトゥットガルト、ドイツとあるがおれの地元
4桁の郵便番号ってのが古い
今は5桁あるんです
ドイツ c’era una volta
東西ドイツ統合前の郵便番号だよね4桁w
ドイツ c’era una volta
4桁郵便番号は少なくとも24年以上前だな
ttps://www.reddit.com/r/ramen/comments/7uz3oi/i_found_a_list_of_my_late_grandfathers_favourite/
ええ話やン…
ラーメン屋が二代三代続くのは結構珍しいのかもしれない
自分も行きつけが老齢で閉店してしまった
春木屋がAKIRA冒頭のバーの元ネタってのはやっぱ知られてないか
くっそ!この時間に美味そうな醤油ラーメンはキツイわ・・・
空港でYOUスタッフが待ってます
良い番組になりそうだなw
東の略字は草書体だから中共の簡体字とは関係無いし、そもそも「东」という簡体字も草書体から取ったはず。
恵比寿をえびす、荻窪を荻くぼ、高田馬場を高田ババとメモするあたりはどう見ても日本人だし、字面からしてかなり古いタイプ
春木屋懐かしいな。東京で一人暮らししてたときは割と近くにあったから、週二ぐらいのペースで通ってた。
俺もピカーって読んじゃった
日本語難しいね
お祖父さんが日本人に書いてもらったメモじゃないか?
ほんと宝探しみたいでいいな。
自分もそう思う。
だから、「お祖父さんが荻窪と書かずに漢字忘れて荻くぼと書くとか」ってコメントに対しては、
忘れたんじゃなく、外国の人に難しい漢字は読めないかもしれないと考えた日本の人が、ひらがなやカタカナに置き換えたんじゃないかと言いたい。
中国人があんな平仮名やカタカナ書かないわ。
あれはどう見ても日本人の文字。少なくとも日本で教育を受けた人間が書いた馴れた良い筆跡。
この人は毛筆で書いたらきっとかなり上手いと思う。
ターミナルで笑った
トム・ハンクス「そりゃ納得いかんのう」
字のバランスの取り方が完全に日本の習字教育を受けた人のものなんで、字は初来日したスレ主のお爺ちゃんのものじゃないんじゃね?それは、当時でもけっこう年配の日本人の縦書き慣れしてる人の字
たぶん日本で会ったラーメン通の日本人にメモ出して、お勧めの店を書いてもらったんだと思うわ
おそらく帰国までにまわりきれなくって、も一回来日することがあったらコンプリートしようと思って大事に保管してたんではないかと
スレ主の爺さん日本人なんじゃね?
スレ主も日系ドイツ人3世じゃないかなあ
シュトットガルトに本社を置くVW系バス製造会社 MAN Truck & Bus AGのネオプラン・スカイライナー。
エンジンは、日本向けには主に日産エンジン搭載、他はメルツェデス・ベンツ製エンジン。
1977年に中央交通が輸入していこう、1981年に東京都交通局が輸入している。 その契約に絡んでの来日のときのことでしょ。 まだ西ドイツ時代。
その当時から、在独邦人・移民たくさんいるで。
このメモ昭和初期に日本で教育を受けた人間の文字
外人かも知れないが日本で教育を受けている
もしくは日本人に書いてもらった字
日本人に買いて貰ったとしても、本人が日本語堪能じゃないと理解できないよ。
全く理解できない人用には、ローマ字併記もするはずよ。
都内のこともよく知っていないといけないし。
筆字だと思うよ、ネイティブじゃないと書けない字だ
でもおじいさんは読めたってとこだろう
おじいさんが日本人→合点がいく
ドイツ人で日本語がよくわかり、何年間か東京駐在していたことがある→それなら多少は分かる
何度も頻繁に来日していた→かなり精力的に時間を見つけては出歩いていたなら・・
ビジネス目的来日で数回きた程度→普通忙しくてあんな広範囲の店巡りと東京の土地勘理解するとか無理
ネット、情報時代の2000年以降ならまだしも、あの当時のドイツなんて超情報後進国
日本語で書いてくれれば自分は読めなくても見せればわかるじゃん。
これ書いた人かなり年配だね。日本人が書いてるね。
「筆字」っていうのがどういう意味かわからんが、このメモ自体はボールペンだろ。うちの母や祖母のメモにも似てるが、ずっと読みやすい。
とりあえず…字が綺麗!
亡くなった爺ちゃんがドイツ人。なんか赤身の刺身が好きだったらしく、
遺品の手帳にもマグロがどうのと日本語で書いてるんだが、後半部分判読不能っていう。
何が言いたかったんや爺ちゃん。
おじいさんが80歳でお亡くなりになっているとして、20年前になくなっているということで、今でも健在なら100歳くらい
1918年生まれで、第一次世界大戦終戦前後
ナチス時代の第二次世界大戦時は20歳前後~26歳前後
来日は1980年位だとして、当時62歳くらい
お亡くなりになった年齢次第で ± あり、と・・・
18
まあ、おじいさんがドイツ生まれのドイツ人とも限らないがね
日本人の可能性もあるし、米軍人系(アメリカ人も移民だらけでいろいろだが)の可能性もあるし、華僑系もあるし、他の欧州系もいるし、ドイツ在住者家系もいろいろだから
ドイツなんて移民系(仕事の関係でそのままいついちゃったり、国際結婚等も含む)だらけ
・他国に輸出できるレベルのバス製造会社社員
・来日したってことは技術説明出来るクラスの能力職
・ナチス時代前後に就職
ってことを考えると当時のヨーロッパで白人系ならまだしも華僑系はありえないわ。
華僑は存在していたがそんなご立派な会社に勤められる時代ではないし、途中入社だとしても技術説明&出世的に無理だろう。
今の移民どっちゃりドイツならいざ知らず。
この人は今のドイツの感覚でコメントしちゃったんだろうね
人間って昔の事は簡単に忘れるからなぁ
もしくは産まれてないか。
がんこラーメンは高田馬場か?この高の字はみたことない
昔の日本人が書いた字だね
NEOTEL Garni in Möhringen
あのメモ紙、 バス製造会社系列の地元のホテルのやつやw
へえ…私の父の手書きとそっくりの字体。(大正生まれ)
ちなみに私の父もドイツに住んでいました。ハンブルグだけど
それから私もStuttgartのVaihingenに住んでいたことがあります
1980年前後だと、ドイツの企業ではまだFAXじゃなくて、テレックスとタイプライターが主流で、携帯電話もないし、タブレットPCもネットもない、メモ取りまくってビジネスやってた時代
当時の日本よりさらに10~20年遅れていたときや
西独時代のドイツの内情知っている人ならよく分かるはず
日本人に美味しいラーメン屋リスト書いて渡してもらったんだろ
飲食店の10年生存率は5%以下
残念ながらそのメモの店はほとんど…
これがほんとのソフマップ。
まあ、日本のビジネスパートナーに書いてもらって、次来日した時に誰かに見せればOK と、大事に持ち帰ったとか、 日本に来る前や帰国後に現地在住の日本人に書いてもらって大事に持っていたとかもあるだろうけどね
日本人感覚からすれば、こんな超筆記体でアラビア文字やキリル文字とか馴染みのない言語でメモもらっても、どっちが店名で地区名すらわからんし、土地勘すらほとんどない
何もないよりはマシだが
あとはなんか異国の言葉で書かれたものだから記念やお宝みたいなものになるくらい
例えばキリル文字で書かれた「うまいボルシチの店のリスト」は、現地で、ホテルのフロントやタクシーの運転手や通りがかりのヒトに見せて使うんだよ。どっちが店名でどっちが地区名かを、メモを持ってる本人が知ってる必要すらない。
下手に日本語のカタカナに直してあったところで、発音がダメなら読み上げたところで通じっこない。いわば「先取りされた筆談」として有用なんだよこのメモは。
実際君の「日本人感覚からすれば」、外国人にこのメモを示されたとき、行き方を教えてあげようとは思わないかね?
祖父の遺言状開けてみた
ラーメン屋の名前が羅列されていた
来日?訪日じゃなくて?
主は既に日本に居るの?
おじいちゃん日本人じゃなくて短期来日したドイツ人なんでしょ?
だったらそのメモは絶対手書きじゃないでしょ。字の上手さ的に
えびすラーメンは10年以上前に
上海に行ってしまった筈
そーいえば確かに80~90年代ベンツの二階建てバス流行った
会社の慰安旅行で乗った覚えある、今はあまり見ないね
スレ主のおじいちゃん優秀なビジネスマンでバリバリ日本とドイツの
橋渡しに努力したんだね。
ほとんどが醤油系ラーメン、おじいちゃん通だったんだね
それにメモ帳も東西統一前のレアものってのも泣ける
荻窪ラーメンは一時期の勢いなくなっちゃったなぁ・・
↑つづき
日本人のビジネスパートナーがいてある程度日本語出来て
バブル当時の日本の勢い(ベンツが流行った)日本式の接待で
東京中を歩き回ったんではないだろうか
いつしか日本のラーメンの美味しさにハマって帰国するとき
また何時の日にか再来日、再会することを夢みてお別れにお勧め店
メモして貰って涙の今生のお別れ・・・
あ、途中から想像多めに入ってしまったw
つかこれ題材に日独親善映画出来そう。
201○年、亡くなった祖父の部屋からみつけた一枚のメモ…。
「何だこれは?」
「…日本語?」
そして日本への、青年の旅が始まった。
名店ばかりだが、昔ながらの醤油ばかりなので
一度に通ったらちょっと飽きるかも知れないな
…まあ、無くなった店多いので、一度に通うことはもう出来ないんだが
↑どんどんイメージがわいてきたw
ひょんな事からおじいちゃんの遺品のなかにメモ帳をみつけた孫のアドルフ(仮名)
なぜおじいちゃんは東京に行ったのか、なせこのメモ書きなのかルーツを探る
旅にでる
次第におじいちゃんのあしどりが分かって来た
80年代、閉鎖的な日本市場ドイツ人なんか最初は全く相手にされない
単身乗り込んだヨセフ(仮名)当初は苦難の連続、現実をつきつけられ絶望する
そんなヨセフを暖かく支えてくれたのはビジネスパートナーの田中(仮名)だった
見知らぬ街で唯一共通の楽しみ、それはラーメン行脚だった・・・
誠心誠意不屈の闘志でガンバルヨセフと田中、次第に誠意が通じ
ついに一台、二台と商談がまとまりビジネスが軌道にのり前途洋々
しかしヨセフの母国は東西統一の激動の時代。急遽本社から帰国命令
二人三脚は突然終焉を迎える。
ヨセフと田中は荻窪で最後のラーメンを食べ再会をちかい
田中はメモ書きをたくし涙の今生の別れとなる・・・
全てを知ったアドルフは当時の面影が無くなった日本の地を踏みつつ
少しづつではあるが確かに前進し始める日本を確認し、悠久の時を思いつつ
自身の生き方に目覚めドイツと日本の橋渡しに尽くす人生を歩み始める
なんてどうかなw
メモ用紙は、来日出張滞在のホテルのやつじゃなく、ドイツの現地のホテルのやつだけどなw
ドイツ語ならヨーゼフな。
日本からもたぶんドイツに視察や出張していた人いるでしょ
あちらのおじいさんは、たぶん会社の経営者・役員クラスの人だと思うし
もしくは州の経済・産業連、商工会議所の人とか
おそらく推定年齢的には、一般社員ならもう退職、年金生活でもおかしくないと思う
まだお店が残っているといいんだけど・・・。
六本木大八潰れたのか
美味かったけどめちゃくちゃ狭かったもんなぁ・・・
うむ。neotelは現地のホテルのようだから、「現地に行っていた日本人に東京のお奨めラーメン店を教えてもらったメモ」が一番しっくりするかな。
annonymous c’era una volta
>>1はフェイク
なぜなら「東」の文字が「东」になっててこれは中国本土の書き方
こいつの知識こそフェイク、東の行書体にちゃんとなってる。
恵比寿ラーメンもピカ一もよく行ったなぁ
思い出してちょっと淋しくなった (´・ω・`)
レディットの外人たちは東京ラーメン事情に詳しいな
24年前にラーメンに嵌るとは先見の明があるじい様だな。
ピカーわろたw
これは…続報があったら知りたいなあ。
オチが4桁でなく今では5桁とか名探偵○○っぽいのもいい。
検索してみたが、西ドイツ(当時)のネオプラン社製2階建バスが、上野の広小路から浅草の雷門までの区間で運行を始めたのは1981年4月。今からだともう37年も前になるね。
そして、ネオプランの本社は確かにシュトゥットガルトにある。
今から37年前、役職がどうあれ、ドイツと日本を往復してラーメンにも親しむぐらい交渉の「現場」にいたヒトが、その17年ほど後に亡くなったわけだから、80歳代とかになってたとはあまり考えにくいね。享年はせいぜい70歳代初めぐらいだったんじゃないだろうか。
それと、このメモ自体はやはり日本人というか、日常生活のなかで日本語を書いていたひとのものだろう。
もっともこれは、字が達筆だとか行書含みだというようなことはあまり関係ない。欧米の大学で日本文学を専攻したような場合、楷・行・草の読み分けはもちろん、書き分けもこなすようなヒトも案外少なくない。
ただそういうヒトは、逆に、荻窪の「窪」だけ「くぼ」にしたり、高田と書いて「ババ」と補ったり、というようなことはあまりしそうにない。
これはまさしく「生活書字」というべきメモで、ネオプランとの交渉に当たった、誰か日本人担当者が書いたものである可能性が高いと思う。
それはそれとして、ここのコメントの反映日時はどうなってるのか。
今これから、2018年2月11日の13時27分に、「Submit Comment」を押してみるけど…。
う〜ん。グリニッジ標準時だとすると1時間ずれてない?
5年で潰れるか店舗リニューアルするもんね。。
20年じゃ、大将は引退してるわな
この話の続きはどうなってるのか知りたい。
お孫さんはラーメン屋巡りをたnosinndekuretanodarouka