1 c’era una volta
郡山八幡神社の改修時にみつかった木片
施主からお酒の一杯も振る舞われなかったことを書き残す
1 c’era una volta
二人の大工さん「どケチのハイプリーストは工事全期間にたったの一杯の焼酎もくだされんかった」
二人の大工さん「残念なんてもんじゃねーぞ」
すけたろう、さくじろう。 永禄2年8月21日
1 c’era una volta
日本の神道の神社では神道プリーストたちがお酒の醸造をしていることが多かった
慣習としてそれを旅人、巡礼者にふるまっていた
1 c’era una volta
この木片は現代の日本でもそう呼ばれる「焼酎」という単語の記録として最古のものである点も注目に値する
annonymous c’era una volta
大工さん「次また改修してとかいってもぜったいやんねーから」
annonymous c’era una volta
>>1
こういうのいいですね
昔の一般の人がどんなふうにその日その日を暮らしてたか
annonymous c’era una volta
どこかの偉いなんちゃら様でなく
500年前のおまえらがブーブー言ってる様が記録に残ってる…
ステキだと思う
annonymous c’era una volta
庶民の歴史
annonymous c’era una volta
さいきんは特に一般の人々の歴史を専門にする史学者達がいる
彼らにとってこういう発見は大事
annonymous c’era una volta
現存する昔の資料はふつう当時社会の上級国民が作って大事に保管
→ おかげで今まで残ってるパターン
王、王女、司祭、みたいな
annonymous c’era una volta
社会のトップらが「庶民はこうであったぞよ」といった話と
じっさいの庶民がどうであったかを切り分けるのに>>1みたいのが役に立ったりする
annonymous c’era una volta
おれ日本の屁合戦絵巻好き
ドイツ c’era una volta
16世紀の日本の大工さんは読み書きできたんだ
同時期のドイツではできなかったろう
annonymous c’era una volta
>>1は熟練大工でギルドに所属してた人だったとか
annonymous c’era una volta
カール大帝は庶民の学校作ろうとしてた
annonymous c’era una volta
カール大帝統治の8世紀に貴族と庶民両方をとる学校はあったよ
カール大帝:小太りの長身(約195cm)であったという。焼肉が大好物であった。また、文字の読み書きはできなかったという。ただし、夜な夜な石板に手習いをしたエピソードは有名で、ラテン語は自由に話せるほどに熟達し、ギリシア語も聞いてわかる程度にはなった。wikipedia
annonymous c’era una volta
昔の大工=読み書きできなかったろうみたいなイメージはどこからくるわけ?
たとえばピラミッド作るなんて今でいえばスペースシャトル作るくらいのレベルだよ?
annonymous c’era una volta
すごい知的ではあるけど読み書きはできないってパターンもあるだろうし
annonymous c’era una volta
>>1のテキストの見やすいやつあります?
annonymous c’era una volta
annonymous c’era una volta
↑ 読める現代日本語のはないのw
annonymous c’era una volta
だいたい読めるでしょ
annonymous c’era una volta
日付がちゃんといれてあるのいいね
おかげで何百年後の俺たちがなるほどってなる
annonymous c’era una volta
↑ ちなみに当時は陰暦だったので
今のカレンダーに直すと9月12日にあたる
annonymous c’era una volta
昔の日本語の勉強に興味があるなら白根 治夫先生の文法書オススメ
ハルオ・シラネは、日系アメリカ人の日本文学研究者、コロンビア大学教授。
1983年コロンビア大学博士号。スタンフォード大学助教授を経てコロンビア大学教授。1992年『夢の浮橋』で角川源義賞、2001年『芭蕉の風景文化の記憶』で二十一世紀えひめ俳句賞石田波郷賞受賞。2019年山片蟠桃賞、第1回日本研究国際賞受賞。妻はやはりコロンビア大学教授の鈴木登美。wikipedia
annonymous c’era una volta
昔の日本語勉強しないとさあ
きさま!とかおのれ!とかわかんないじゃん?w
日本語では、二人称代名詞に込められた敬意が時代の経過に伴って低下する傾向がある。例えば「おまえ(御前)」や「きさま(貴様)」は、古くは字面通り(後には「貴方様」「御前様」の形で)敬意を込めて使われたものである。wikipedia
貴-様(き-さま):
(中世末から近世中期)二人称の敬意を込めた表現。
(近世後期以降)二人称のひどく無作法な表現。男性が対等もしくは目下の者に対して用いる。海軍兵学校では同期の親友同士が相互に使った。
wikipedia
おのれ・のれ・おどれ・どれ・おんどれ
己(おの)を意味し、元々は「自身」をさす反照代名詞であったものが、平安時代には人称としても用いられるようになった。近畿地方から山陽地方、四国地方、北陸地方などの各地で発達した。二人称に用いる場合は卑下の意を含むことがあり、言い方によっては強い罵りを表すことばである。「れ」は助詞であり他の用法もある。wikipedia
annonymous c’era una volta
>>1は現代の日本の人が話してるような日本語?
それともふつうの日本人には読めないような古語?
annonymous c’era una volta
わりと読めますね
いくつかの古風な言葉をのぞけば
annonymous c’era una volta
漢字ひらがな混じりの文っていったいどれほど昔からあったん?
なんとなく漢字+ひらがな文章はもっと最近のものだと思ってた
annonymous c’era una volta
大戦後くらいまでは、ひらがな+漢字の文章というのは公文書にはなかったはず
annonymous c’era una volta
>>1の大工さんのご子孫がどなたかはわかるのだろうか
もしわかるんだったらその方々にあらためて神社がお神酒をあげるってのよくない?
annonymous c’era una volta
↑ いいね
annonymous c’era una volta
大工さんたちが愚痴垂れるときでさえも「候」を敬語として使ってるのにビビった
ttps://www.reddit.com/r/ArtefactPorn/comments/hhhewy/graffiti_complaining_about_not_being_given_liquor/
ttps://www.reddit.com/r/todayilearned/comments/8oq13g/til_something_which_has_never_occurred_since_time/ttps://www.reddit.com/r/japan/comments/hhonki/muromachi_era_graffiti_complaining_about_not/
>16世紀の日本の大工さんは読み書きできたんだ
そう! そこに気づいてほしかった!!
>昔の大工=読み書きできなかったろうみたいなイメージはどこからくるわけ?
仕事に読み書きは重要でないし、勉強する環境もないのにどうして読み書きに労力を費やしたか考えろ。日本の大工にはその余裕があったってこと。同時期の他国の大工にはその余裕がなかった
>たとえばピラミッド作るなんて今でいえばスペースシャトル作るくらいのレベルだよ?
ピラミッドの設計や運搬計画は知識がいるが、現場の労働者は頭脳でなく肉体の腕力がないと話にならない。
酒なんかいらんだろ。
普通は振る舞われるのに、振る舞われないからケチって思ったんやろ。
仕事終わりに一杯ご馳走するとかは田舎ではまだ普通にあるし。
酒は車で来てるからないけど、お茶やお菓子なんて振る舞うやろ。
今だって建築中に様子を見に行って、大工さんに栄養ドリンクをあげたりするじゃん。
それと同じなんじゃないの?
それをくれないからケチだと。。。
お前みたいな座主だったんだろうな
そら嫌われるわ
今だって工事の進み具合の確認がてら時々様子を見に行って飲み物やお菓子を出したりするよね
気持ち良く働いてもらうためには施主として当然の気遣いだよ
現代でも、昔ながらの日本建築で家を建てるなら、建前のときに
酒(と食事)を振る舞うのが普通。
両親が家を建てたときには建前をやったけど、樽酒を飲んだこと
がない(口当たりがいいのでついつい飲みすぎる)業者さんが軒
並み酔いつぶれて、タクシー手配したり、車で事務所まで運ぶの
がえらい大変だったw
永禄2年 西暦1559年
18世紀になってもヨーロッパでは庶民は読み書きが出来ないのが普通だったよ
時代劇で町民の娘がサラサラと字を書いているのを見て、フランス人が、あれはおかしいと言ってた
ヨーロッパの常識では、近代以前に庶民で、しかも女が字を書くなんて普通はないから
江戸末期に来日した欧米人が「茶屋のウエイトレスが休憩時間に読書してた!うちの国ではあり得ない…」って書き残してるしね
寺子屋最強だな。
空海様のおかげや
反対に日本人は、日本に来る南蛮人が宣教師など一部を除くと、ほとんどの人が読み書きできないのを不思議がっていたらしい
滝沢馬琴は晩年目が悪くなって、息子の嫁だったかが口述筆記してたんだっけ
馬琴の八犬伝なんかまさに庶民の娯楽向けのものだね「新連載開始!」みたいなノリの広告の摺物を見た事がある
内容もわりかしゲスかったりするし
そして少年漫画誌よろしくクライマックス過ぎても人気に乗じて引き延ばしたのだろうか?後半が冗長でめっちゃ退屈
あと一般庶民より若干教養は高いだろうけど吉原の遊女に貸本屋が人気だったらしいね
売れなきゃ打ち切りだし、人気が高ければ第2シーズが始まったりなんてザラですよw
小学校の時呼んだ南総里見八犬伝の後書きに、その話が載ってたっけ
“息子の嫁が口述筆記”を何も疑問に思わなかったけど、
200年前の女性が「文章を」書ける国の方が少なかったと、大人になって知ったわw
あと、吉原の遊女にはランキングがあって
松の位の太夫なら“一般人より若干教養が高い”どころじゃなく
当時の超一流のエンターテイナー且つ文化人だった
永禄3年に今川義元が討ち死
宮大工は職人の中でも
エリートだからな
でもDQNぽい言い方だなw
大キナ→大変・すげー
こすて→コスい・ケチ
をちやりて→なんだぜ
宮大工ではないんじゃね
まあ神社や寺直した大工だろうけど
てか当時に宮大工なんて概念なかったろ
それに近い渡りの大工はいたかもしれないが
そんなこと許されるのはよっぽど腕のいい大工くらいだろうし
そもそも、当時の大工にとっては神社仏閣なんて技術的にはどこでも当たり前に知ってなきゃならないものだろ
大キナこすてをちやりて
ってところが意味わからなかったけどそういう意味なんだ。ありがとう
室町時代の文字にしては
ひらがなが現代っぽすぎない?
こういうもん?
室町までくると庶民の言葉はほとんどもう現代の日本語と変わらないよ
施工先の神社の合わせ板の間に
こんな悪口を書き込んで憂さを晴らした大工も面白いし
それを見つけて、先代のちょっとケチっぷりを
公表できる神社の人のおおらかさもいいわ
寺子屋があったんで
ヨーロッパにはない文化だよね
>何共めいわくな事哉
何か、かわいい。
多分だけど、宮大工の棟梁達の落書きかな。
姓持ちもいるから、かなりのエリート層っぽい。
棟梁クラスだと契約や施工計画にある程度の教育は有ったんだね。
一昔前の大工さん(昭和とか)の「10時の一杯」、「昼飯の一杯」、「3時の一杯」
「仕事終わりの一杯」
↑ここまでが家主の接待仕事。
帰りに酒屋で立ち飲みか食道で2~3杯。
昔の人はよく飲んでたわwww
ヨーロッパでも飲みながら働くというのはけっこうあったらしく、美味礼讃だったかなにかにも、職人たちは、最初は帰りに一杯が、次に仕事前に一杯、帰りに一杯になり、やがて朝、昼、夕に一杯やるようになる。こうなると数年以内死ぬなんておっかねー話が出てくる。この酒が何か具体的に書いてないけど、おそらくジンだと思われる
ヨーロッパは水が良くないからビール🍺が水代わりだったしな
ピラミッドにも奥の方にある外部に見えない岩には
現場労働者の愚痴が刻まれてるんだよな
異論色々とあるが
カタカナは下男下女程度の庶民でも必ず読み書きできる100%普及率
ひらがなは丁稚で入る一般庶民なら必修
漢字は寺小屋教育や個人指導を受けたレベル
この大工の注目点として、苗字持ち、漢字ひがらなカタカナ併用に流行言葉まで混ぜているから、現代で言えば中堅以上のハウスメーカーやゼネコン勤務の学がある人間
酒の振る舞いは神事にもつながる行為だからこの神主は常識がないと取られても仕方がなかったかもね
源氏物語だって原文は漢字かな交じり文だからね
清酒が一般に普及するのが江戸時代と考えると、
当時のどぶろく、濁り酒とかはアルコール度数が低かったろうし、
焼酎は結構貴重だったんだろうな。
おっさんだけど俺が子供の時って、家を一部改築する時も、
休憩時のお茶とお菓子はもちろん、時には昼飯も大工さん達に出してたわ。
年号が、織田信長が尾張を統一した時のやつだな
次の改修の時に見つかるように書いたんだろうな
施主のケチっぷり未来に伝えてやろーぜ!って感じが好き
バイトで大工の手伝いをしていた頃、棟梁が同じような愚痴を言ってたわ。
あそこの施主さんは茶菓子ひとつも出さんかった、常識がない、だと。
500年前のツイート
一応丁寧語にしてあるあたり
今でも商品レビューで見る愚痴と似てて面白い
>現存する昔の資料はふつう当時社会の上級国民が作って大事に保管
こういうのは紙が希少で識字率が低かった国の基準だね
日本の場合中世以降は中流の名主や住職が台帳や手形を管理して一般庶民も俳句や狂歌、日記や手紙を残してるから
資料が膨大すぎてあちこち散逸してるし研究が追い付かない
最近でも地方の寺や農家からなんか出てくることがあるから
日本人の識字率の高さは、寺子屋以前からということか。